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2015年 01月 29日

La Maison de la Mouche Dubos (2E)

La Maison de la Mouche   Dubos   (2E)_f0223994_23470261.jpg
La Maison de la Mouche "Dubos"
今の店名は、R Dubos になっていました
以前は、この様な・・・・La Maison de la Mouche J-M B Dubos だった筈ですが・・・

僕が、足繁く学費?を納めていた頃は、確か・・・そうだった!

ジャン・ミッシェル氏と初めて出会った時、年老いた氏はまだ杖をついて歩いていた
彼の愛犬は、いつも彼の足元に・・・看板犬であった
そして、その愛犬が田舎の別荘で交通事故で亡くなった後位から、彼は車椅子生活

でも、いつでも訪問すると歓待してくれて、店中央の奥のドアーを開けて秘密の花園である工房に招き入れてくれたでのある
この店のサービス・ドリンクは、いつもPastisを水道水で割った濁ったクリーム色ともレモンイエローとも言えぬ色のリキュール酒の水割り

でも、勘違いされぬ為に言っておくと、彼は、僕からすれば神にして優しい老人
優しい眼差しの老人の印象的な一言「君は河原で一本の木になれるかい?」
「この店でPPPを買う事は、他店でペゾンを買う事と何が違うか解るかな?」の二言でニヤリ、やられた!

実は、娘婿である3代目主人であったニコラ氏が常に招き入れてくれたのであります
工房・・・壁には当時にデザインしたロッドの型紙???が残る
真鍮の釘が打ち付けられていて、ロッドの画が撓っているではないか!
聞くと、錘をロッドの先に吊るしてデザイン???いや、一本、一本検査していた様だ
曰く、「テーパーが同じでも、竹、竿の特性で少しずつガイドの位置を決めていた」そうなのである
むむむ・・・・・これが歴史と云うやつなのか・・・・!?と、ただ、ただ見入っていた
僕の知らない世界へと、ドンドンと引き込まれてしまったのは当然

ず〜っと以前、僕は大きなミスを犯していた
それは、モンスター・ブラウン伝説のあった、あの本栖湖
当時、有名な国分寺辺りに有ったS氏(師)のキャスティングスクールに通っていた頃、そう、モンタナマラブーばかりを多様していた頃、他に優秀なキャスターが出始めた頃の・・・途中棄権のヘボヘボのオイラ
ブラウン・・・・イコール・・・・ペゾンのファリオクラブ#6と思ってしまったのである(笑)
おフランスのチョークストリームでブラウンを釣る竿・・・・・・・・
ま、結果、"PPP Power Plus #6"になりました(笑)

こんな失敗が多々あったので、この店に出入り出来る様になった事は想像を絶する思いだったのですヨ!
お仕事で、おフランスに頻繁に滞在する度にお邪魔虫
結果、最後は仕事ホッタラカシ?(少しはしました!)でサンルイ島にアパートを借りる始末
だから、とても懐かしい!!!
ニコラ氏には色々な釣り場を紹介してもらい、また、一緒に度々釣りに出かけた
店に出入りする常連さん達とも結構仲良しになり、顧客の所有する別荘の川目指して、ブルターニュまで行く事もあった・・・ノルマンディー、オード・セーヌV村 etc・・・・・・

でも、最も僕をこの店で有名にしてしまったのは・・・あの・・・恐怖の事件・・・・・!
数人の仲間と出かけた或る日、「散弾銃の流れ弾に当たった!?撃たれた!」事件から・・・
そう、おフランスで釣りに出かけて銃弾に倒れた事で有名な日本人(爆)とは、オイラです!
おバカでしょう?笑えますよね〜・・・・・
この辺から、と、云うか、不本意な事件により有名となり、皆と仲良く遊んで頂いたのでありました

だから・・・・本当に懐かしかった

でも、人づてには聞いていたが、ニコラはそこには居ない・・・・・
現在、経営はファミリーから離れ、アラン氏がこの歴史有る店を受け継いでいた
訪ねた時、彼に名を告げると・・・直ぐにニヤっと笑った・・・・チキショー!

次回は、引き続き、おバカな出来事で有名になってしまったオイラが、ご褒美?にて???
International Fario Club(IFC) Trophee Charles C.RITZ
(インターナショナル・ファリオ・クラブ  トロフィー・シャルル・リッツだよ)
とか云う、式典?コンペティション?にご招待頂いた事でもね・・・
ここでも皆に、笑顔で???丁重にもてなされた・・・何故?・・・チキショーなのである(笑) 


by ff1350m | 2015-01-29 10:43 | 旅日記


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